私がひきこもりから出て間もないころ、地域の精神障害者の親の会に参加する機会がありました。私がそこでひきこもりから出て来た経験を語ると、ひとりの親御さんが私に近づいてきて言いました。
「うちの息子と会ってみてもらえませんか?」
私は、深く考えず、
「会ってみたいな」と言う気持ちで会いに行きました。
息子のMさんは、2階の自分の部屋にひきこもり、地域の心療内科の先生が来ても、保健所のスタッフが来ても、決してドアを開けなかったといいます。人との接触を拒み続けて、20年ひきこもったままでした。
ご自宅を訪ねた私は、Mさんのお母さんに
「息子と仲良くなってほしい」と言われました。静かに階段を登って、お母さんが指差した先のドア越しに、Mさんに語りかけました。
自己紹介をして、自分もひきこもり経験者であることを少しだけ語りました。そして
「これから時々来るのでお話しができたらな、と思います」と告げて、
初日はMさんのお顔を見ることなく帰りました。
2回目にご自宅に伺った時、再びドア越しに
挨拶しました。
「お話ししたいなあと思ってきました。よかったらお話ししませんか?」と
柔らかい口調で語りかけると、Mさんがドアを開けてくれました。
それから月に2回のペースで通いました。
Mさんは自分の部屋から出て、リビングで私とご家族と一緒におやつを食べてくれるようになりました。
私はMさんと交流する中で、時々地域の支援事業所の話を、差し出してみました。すると、興味を持って詳しく聞きたいという姿勢を見せてくれることもありました。しかし、実際に外に出ることは、なかなか叶いませんでした。
そのまま4年の月日が流れました。私自身も事業所に通うのが忙しくなって、なかなかMさんの所に行けなくなっていました。
そんな時、ピアサポート講座で一緒だった仲間にMさんのことを話す機会がありました。
するとその仲間は、一緒にMさんの所に行きたいと、言ってくれました。
それから1年間、仲間と2人で、Mさんの所に通いました。
仲間は、屈託のない笑顔でMさんに微笑みかけ、次々に外出の提案をしました。
「一緒にファミレスで食事をしよう」
「一緒にカラオケに行こう」
「桜が咲いたらお花見に行こう」
初めは短い時間の外出から始めて、だんだんと外出にMさんの体を慣らしていきました。
すると、Mさんは、だんだんと外出を楽しむようになり、お花見のときには、自分から玄関のドアを開けて、率先して私たちを近所のお寺に案内して、記念写真まで撮ってくれました。
それから何年かして、Mさんのお父さんが亡くなりました。
Mさんは、今、就労移行支援事業所に通っています。
訪問相談事業さくらんぼ会
埼玉県北本市を中心に活動している 「訪問相談事業さくらんぼ会」です。ピアサポートアウトリーチの活動をしています。 私たちの考え方を書いています。
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