心を癒す涙が語ること

私たちさくらんぼ会の傾聴に触れると泣きながら語られる方がいらっしゃいます。涙される理由は人それぞれですが、「それを一人で抱えてこられたのですね」と言葉をかけると、ますます涙が止まらなくなります。自分で悲しみや孤独と向き合ってあふれてくる涙は心を洗ってくれます。私たちは、泣き切っていただくことにしています。つまり「私たちが寄り添いますから、どうぞ安心して思い切り泣いていいですよ」とゆうメッセージを傾聴の姿勢に織り交ぜます。その涙は心のSOSです。受け止めなければいけません。そして泣き切ったその人はこれからの人生を考えはじめます。私たちは特に立派なアドバイスができるわけではありません。答えはすでにその人の中にあると信じているからです。私たちと語り合うことで、独りじゃないことを感じてください。孤独から解放されたときに見える景色を一緒に見ようじゃありませんか。                                     

障がいを持ちながら地域で生きるということ

私の経験で恐縮なのですが障がいをもちながら、地域で生活しているとなぜか、隠れたい気持ちに囚われることがあります。ごみ出しのルールだけ守ってここで生きている私が障がい者であることに地域の人に気づかれないように。すれ違う時に挨拶してればいじめられることもないだろうと。でも、そうして隠れているといつの間にか地域から切り離されてしまうのです。そして、自分が切り離されていることに気付けないのです。そんな私が自分の障がいをオープンにして「ピアサポーターです」と言って地域に繋がり始めると意外とみなさん話しを聴いてくれます。私は障がい者を代表しているわけでも何でもない人間なのですが思っていたほど世間は怖いものではなくて、いじめられるというのも、私の思い込みだったことに気付きます。もしかしたら、私がそうだったように地域で隠れるように生活している人が身近にいるのかもしれません。その人は仲間です。繋がって共に生きよう。隠れなくても大丈夫。誰もあなたを傷つけない。繋がって共に生きよう。みんながそんな気持ちになってくれたら誰も切り離されない地域社会を創っていくことができるのかもしれない。そう思います。

傾聴ボランティアはじめました。

北本団地にあるジャズ喫茶「中庭」ご存知でしょうか?さまざまな団体やグループが利用する、シェアスペースです。中庭のカナコさんのご厚意でさくらんぼ会の活動のために使わせて頂けることになりました。つぎの傾聴ボランティアは8月29日火曜日です。予約はいりません。傾聴をご希望する方は、朝10時から15時の間に中庭にお越しください。あなたの心の重荷をはんぶんこお会いできるのをたのしみにしています。

ピアサポートの心

その悲しみから自由になれるように私たちはあなたのために何ができますか?あなたが求めているものはなんですか?どんな自分になりたいですか?今障害になっているものはなんですか?質問づくしでごめんなさい。あなたについて知りたいのです。あなたの家族について知りたいのです。あなたが涙される時側にいたいのです。どんな人生を生きてきましたか?どんな思いを抱えていますか?聴かせてください。半分でいいからその重荷をピアサポーターに渡してください。喜びは2倍に悲しみは半分にそして共に生きましょう。私たちの人生にあなたが必要です。

世間体と傷つく心

私の経験で恐縮です。親が私の気持ちよりも世間体を気にした時私の心は深く傷つきました。世間体とは何なのでしょうか?そこに実体はあるのでしょうか?世間体とは、家族の心を傷つけてまで守らなければならないのでしょうか?誰も答えを教えてくれません。傷ついた心にあふれてくる疑問にはいつも答えがありません。今なら、「親も大変だったんだな」と思えるのですが、当時中学生だった私はとても未熟で「親は私よりも世間体の方が大事なんだ」「私は親から愛されていない」という結論をだしてしまいました。傷ついた幼い心で出した結論は、愛を失い、孤独に追いやります。そして、心の傷は益々深くなります。親に対して心を閉ざし親が何か言葉をかけるたびに、睨みつけるようになってしまいました。そんな時、誰かに気持ちを打ち明けて「そうじゃないよ、きみは愛されているよ」そう言葉をかけてくれる人がいれば、あんなにも親を恨むこともなかったのかな?そう思います。家族以外の誰か優しい人私の気持ちを分かってくれる人心はそんな人を求めていたような気がします。大人になってみると自分だけが不幸な境遇にいたわけではないことに気付くことができます。でもそれには、色々な人と触れ合う必要があるのです。ひきこもってしまうと人と触れ合うチャンスも失われてしまいます。だから「訪問」です。ピア(対等者)の立場で傾聴することでそこには、深い共感が生まれます。その共感が...

利用料が・・・!

ホームページの閲覧状況をみるとチラシを手にした方が、たくさんアクセスくださっています。みなさん、私のブログを読んでくださっていて、フェイスブックから「共感しています」というメッセージを下さる方もいます。みなさん、「支援の内容」のページを読んでくださっていて「料金・お問い合わせ」のページも開いてくださいます。でも、問合せフォームにアクセスがありません。ここからは私の想像なのですが、チラシを手にしてホームページにアクセスくださるのは、多くはお母さん、あるいは奥様ではないでしょうか?ご家族に、あるいはご自身が、精神障がい、発達障がい(APDを含む)ひきこもり、HSP、LGBTQ+などの問題を抱えていて、チラシに目をとめました。そして、ホームページにアクセスしてみました。利用料のページまで読んで「この金額では一人で決められない」と判断して、お父さんあるいはご主人に相談します。すると、金額だけ聞いてピアサポートが全く分からないお父さん、ご主人はびっくりして猛反対!取りつく島もなくなってしまった・・・。大方こんなところでしょう。無理もありません。こんな時代です。家庭の経済状況に責任を持とうとすれば、毎月の生活費、支払、これからかかる子供の教育費、ふたりの老後のお金、老いた両親の介護まで、背負っていらっしゃるかもしれません。それらをお父さん、ご主人一人で背負ってらっしゃるなんて考えただけで胸が痛...

We have dreams

私たちには夢があります。一つはピアサポーターという仕事を確立させて障がい者が自立できるようにする事です。二つ目にピアサポートセンターを作ることです。私たちがイメージするピアサポートセンターとは、まず、地域の方が気軽に訪れることのできる居場所を作り、そこにはピアサポーターが常駐しています。そして、ピアサポーターの育成の場を作りたいのです。ピアサポートセンターは、軽度中度の障がい者の就労の場になります。では、ピアサポーターは社会から求められているのでしょうか?いずれ、障がい者が障がい者を支援する時代が来ると私たちは見ています。また、障がい者が健常者を助けるようにもなると思うのです。ピアサポートを学んだ障がい者は、共感力が強くつらい立場にいる人によりそうことができます。つらい立場には、障がい者、健常者関係なく誰でも陥ることがあります。その時障がいを経験したピアサポーターが近くにいればその「傾聴力」と「共感力」に心が癒される人がたくさんいることでしょう。今は、自宅を事務所代わりにたった2人で運営しているさくらんぼ会ですが、それをはじめの一歩としてピアサポートセンター設立まで私たちは進みたいのです。

抱えきれない思い、抱えきれない人生

ピアサポーターと会った時、心の内を機関銃のように語る方もいらっしゃいます。それだけ、自分の心の中で叫んでいらしゃったんだと思います。心の叫びを言葉にするとき多くの方は涙されます。その気持ちが、よく分かります。どうしてこんなに思いがあふれてくるのでしょうか?どうして自分の人生はこんなに重いのでしょうか?どうして自分ばかりこんなつらいことが起こるのでしょうか?答えのない疑問は繰り返し繰り返し心の中を駆け巡って傷ついた心をむしばんでいきます。私たちはその心の叫びに寄り添いたいのです。心でいくら叫んでも誰にも聞こえません。でもその心の叫びは、心のSOSなのです。思いを言葉にするだけで、駆け巡っていた思いは少し、静かになります。そしていっぱいいっぱいだった心に少し隙間ができて、冷静に考えるゆとりが生まれます。あなたが独りで抱えている思いを半分でいいからピアサポーターに渡してください。そして一緒に考えましょう。どうあることが、自分らしいのかを・・・。

自分のせいでも親のせいでも社会のせいでもない生き方

つらいことがあると、だれでも、犯人捜しをしたくなります。自己責任というと、あまりに冷たくつらい立場にいる人を切り離してしまいます。さらに、当事者は自分を責めることになってしまいます。日本には「親の顔が見たい」という言葉がありますが、親の育て方のせいにすると、産み育ててくれた人を恨むことになってしまいます。さらに、つらい時一番力になってくれる人を恨み憎むことになってしまうのです。では、社会のせい、政治のせい、制度のせい、法律のせい、と犯人探しをしていくとどうなるでしょう?その心の中は、答えの出ない堂々巡りを繰り返して、つらい出来事の上に、つらい心の持ち方が上塗りされて、もう出口が見えません。そんなとき、私たちは語りかけます。「あなたはこれから、どんな自分になりたいですか?」「これからどうしたいか、教えてください」当事者さんはこう言い返したくなるかもしれません。「そんなすぐに、これからなんて切り替わらないよ!」そうですよね。でも一つだけお願いがあります。「自分を責めるのだけはやめてください」そしてこう提案します。「何か好きなことを見付けてみてはいかがですか?」「好きなことだけして、楽しい気持ちで暮らしても良いのですよ」「楽しい」「嬉しい」「幸せ」実はすぐ近くにあるのです。自分を責めることをやめれば、誰かや何かのせいにする必要がなくなります。心は自然と犯人捜しを手放します。そこまでリカバ...

心を閉ざすということ

当事者さんは時に、深く心を閉ざします。多くは親御さんに対して、あるいは社会に対して・・・。気持ちを聞こうとしても、何も語りません。ただじっと、孤独の闇の中にいるようです。その心の中は・・・?私の場合ですが、まず親に対する強い怒りの感情がありました。そしてこれは、後になって気付いたことですが、怒りの奥に、深い深い悲しみの感情がありました。その悲しみは、「正当に扱われなかった。自分を踏みにじられた」という悲しみでした。いつ親が、自分を正当に扱わなかったのかどんなふうに踏みにじられたのか細かいことは思い出せませんでした。ただ悲しみの感情だけが、胸に突き刺さっていました。訪問支援(アウトリーチ)に伺うとき親御さんの話に耳を傾けるとたいていの親御さんには心当たりがあります。私たちは、「謝ってあげてください」という言葉をかけます。「ごめんなさい」と目を見て心をこめて詫びてあげるだけで、当事者さんの気持ちは解れます。口先だけで謝ると当事者さんは、かえって反発します。親御さんは皆、暗中模索の中で子育てをしています。そこには、明確な正解は存在しません。でも当事者さんは、未熟でまだそのことが分かりません。だから当事者さんの気持ちが少しでも楽になるように親の方から謝るのです。苦労して育ててあげたのに何の不自由もさせなかったのに様々な思いが、あぶくのように湧き上がってくることでしょう。謝ることをすぐには受...

私がひとりぼっちだったころ

病気になる前、私は百貨店の食品売り場でレジの仕事をしていました。もともと体の弱かった私は、どうしても疲れて起き上がれない日が度々ありました。初めはやさしかった上司も、私が急に体調を崩して休む日が重なると段々と態度がきつくなりました。そしてあるとき、上司に怒鳴られてしまいました。急に休んでしまうことが多かった私は、そのことで自分を責めていましたから、上司に何も言い返せませんでした。そのまま私は職場に行けなくなりました。精神科に掛かったら、休養を取ることを強く勧められました。診断書を職場に提出しとりあえず「休職」という形で仕事を休むことにしました。そうなると、仲が良かった職場の同期も先輩もバイトの子も、誰も連絡をくれなくなりました。「寝てるかもしれないと思うと気楽に電話できなかった」とあとで教えてくれました。趣味の仲間が私を心配してホームパーティに誘ってくれたことがありました。久しぶりに楽しい時間を過ごしましたが、そのあと3日間寝込んでしまいました。そのときわかりました。「ああ私は、みんなと普通に遊ぶこともできないくらい病んでしまっているんだ」それ以来友達が誘ってくれても断るしかありませんでした。仲のよかった友達もだんだんと連絡をくれなくなりました。そうして私はひとりぼっちになりました。誰も来ないアパートの一室で、ケータイにダウンロードした音楽にすがりつくような気持ちで、自分の気持ちを...